ベルント・シュスター

Bernd SCHUSTER
生年月日
1959年12月12日
国籍
ドイツ
身長
183cm
体重
75kg
ポジション
メディアプンタ,インテリオール
在籍
1980-1988
ドイツ人選手としては珍しいファンタジスタタイプで、その華麗なプレースタイルからブロンダー・エンジェル(金髪の天使)の異名を持った。特に繊細なボールタッチから繰り出される正確無比なパスは、70年代の西ドイツの名プレーメーカー、ギュンター・ネッツァーが誇った「センチメーターパス」を髣髴とさせると言われていた。W杯出場経験が無いせいか同じ80年代のゲームメーカーであるミシェル・プラティニやジーコと比べるとその知名度は低い。しかしながら間違いなく80年代を代表する、そして現代に至るまででも屈指のゲームメーカーである。西ドイツが優勝した1980年の欧州選手権、弱冠20歳でゲームメーカーとして出場し、世界中から絶賛された天才。同年のバロンドールを獲得したのは同じ西ドイツのカール・ハインツ・ルンメニゲだったが、2位に選ばれたのはこの若者だったという事実が何よりそれを証明している。誰もが西ドイツの、そしてシュスターの輝かしい未来を想像したが、それ以後は代表でのプレーにあまり興味を示さず辞退を繰り返したため、代表出場試合は21と驚くほどに少ない。1990年のイタリアW杯の前にはフランツ・ベッケンバウアー監督に直々の参加要請を受けたにもかかわらず、これも辞退している。(西ドイツはこの大会で見事優勝を果たした。)西ドイツは優勝したイタリア大会だけでなく、その前回大会(メキシコ大会)と前々回大会(スペイン大会)でも決勝戦進出を果たしている。もしシュスターがもう少し代表でプレーしていたら、西ドイツは優勝を逃したW杯を含めてさらに多くのタイトルを獲得したことだろう。短い期間にもかかわらず人々にそれだけの夢を抱かせるような「天使」、それがベルント・シュスターだった。クラブチームではキャリアの多くをスペインのクラブで過ごし、金髪をなびかせ類稀なサッカーセンスでリーガを大いに沸かせた。さて、バルサ在籍時代はマラドーナとコンビを組み活躍していたが、決して気が合ったわけではない。王様が去った後シュスターは、さっそくベナブルス監督とケンカしている。CLファイナルでも途中交代を命じられ、激怒。ベンチにも戻らずそのままバルセロナに直帰してしまったのだ。個の行為が以前からソリの合わなかったヌニェス会長の逆鱗に触れ、シュスターは試合に出ることさえ許されなくなった。そのあいだに交渉を進め、1988年レアル・マドリーに移籍してしまった。なお、スペイン3大名門クラブ(バルセロナ、レアル・マドリー、アトレティコ・マドリーのこと)の全てのクラブでプレイしたという非常に珍しい経験をもつ。特にレアル・マドリーではクラブ史上最高のチームと称されるキンタ・デ・ブイトレの中心として数々のタイトルをもたらした。監督としてはブンデスリーガの1.FCケルンやウクライナのシャフタール・ドネツク、リーガ・エスパニョーラのレバンテ、ヘタフェの監督を歴任。2007−2008シーズンからは古巣レアル・マドリーの監督に就任し、このシーズンはリーガ制覇果たすも、翌シーズン成績不振により途中解任された。2010年トルコのベシクタシュの監督に就任した。
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