ロベルト・プロシネチキ

Robert PROSINECKI
生年月日
1969年1月12日
国籍
クロアチア
身長
182cm
体重
76kg
ポジション
インテリオール
在籍
1995-1996
ユーゴスラビアからの出稼ぎ労働者の息子としてドイツで生まれ、幼少時に帰国している。1986年に母国のクラブチーム、ディナモ・ザグレブへ入団。1987年のワールドユースでは大会MVPに輝くなど早くから才能を発揮していた。活躍を認められ名門レッドスター・ベオグラードへ移籍。ここではチーム最年少でありながら、既にクラブの象徴的プレーヤーになりつつあったドラガン・ストイコビッチと一緒にプレー。臆することなくゲームを作り、ストイコビッチをして「旧ユーゴでも彼の右に出る曲芸師はいない」と言わせた旧ユーゴでも指折りのテクニシャン。フェイント、パス、ドリブルなどのゲームメーカー的なプレイに優れており、日本では「カズのフェイント」として有名なまたぎフェイントも使っていた。特筆すべきは足裏を使った高速での引き技フェイントでの抜群のキープ力でワールドユースを観戦した各国ジャーナリストから‘熊手の足‘庭師の足を持つ男と呼ばれていた。ニックネーム「バルカンの黄金銃」の由来は、このボールを引く動きから強烈なミドルシュートまでの流れが激鉄を起こしてからひきがねを引くまでの一連の動きに似てたためだと言われている。1990年のイタリアW杯では1得点を記録した。旧ユーゴ代表での最終成績は15試合4得点。W杯での華麗なデビューと1990−1991シーズンのチャンピオンズカップ優勝での活躍が認められた形で1991年にはレアル・マドリーへ移籍。1995年FCバルセロナに入団したがレギュラー獲得まではいかず、翌1996年はセビージャに移籍する。クロアチアが独立後初めて出場した1998年のフランスW杯でも活躍し(この大会でも得点したため、「ワールドカップで2つの違う国の代表でプレーし、得点を挙げた」数少ない選手の1人である)、クロアチアの3位入賞に貢献した。以降はクロアチアやFAプレミアリーグ・ポーツマス、スロベニアなどでプレーし、2004年に現役を引退した。2006年からは現役時代に代表で同僚としてプレーした現クロアチア代表監督スラヴェン・ビリッチを助けるべく、代表アシスタントコーチを務める。またザグレブでは2007年から喫茶店も経営している。トップクラスの選手には珍しく、1日に40本を消費するヘビースモーカーであった。
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