ファン・アントニオ・ピッスィ

Juan Antonio PIZZI
生年月日
1968年7月6日
国籍
スペイン
身長
185cm
体重
84kg
ポジション
セントロ
在籍
1996-1998
日本に呂比須選手や、ラモス選手がいたように、ピッスィは、アルゼンチンからスペイン帰化した。その一週間後に、早速代表召集を受けている(1996年欧州選手権予選:対デンマーク戦)所から、非常に期待の大きさを伺えた。まさに、高さのあるデランテーロという一言につきる。非常に分かりやすいタイプであり、その分チームとしても使いどころがハッキリしている選手と言える。そんなステレオ・タイプ通りに、前線のターゲット・マンとして、1996年にテネリフェで31得点を挙げて得点王。この活躍を認められ、ビッグ・クラブ、FCバルセロナに移籍を果たした。1997−1998シーズン、開幕からバルセロナは絶好調。ところが、またも悪い癖が発症。チャンピオンズ・リーグのディナモ・キエフと対戦したバルセロナは、前半だけでシェフチェンコにハット・トリックをくらい0−4の敗戦。これがリーガにも飛び火したのが、直後の第10節。ホームのバリャドリー戦で、全く首位のチームらしからぬ内容を披露してしまい、0−2で、試合はロス・タイムに突入。完敗寸前の状態で、ホーム・チームのゴールが生まれた。それは、大勢に影響を与えるものではなく、結局1−2での敗戦となるのだが、ファンの間には、最後まで諦めなかった、この大型のデランテーロを称える気持ちが芽生えた事だろう。当時のファンハール監督も、彼のプレーを評価してた。
翌11節、バルサは、さらなる窮地に立たされた。アスレティック・ビルバオに0−3と大敗を喫し、次の試合で敗けると、首位陥落、という緊急事態。ここで、ファンハール監督は、次の試合のスタメン表に、初めてピッスィの名を記す事となった。第12節は、カンプ・ノウにセルタを迎えたバルサ。バルセロナの先制点は、セルタのデフェンサエッゲンのオウン・ゴールだったが、この得点は、ピッスィの粘りから生まれたものだった。しかしセルタも、カデテが決めて1−1の同点で前半終了。後半、さらにピッスィが輝きを増す。リバウドに絶妙のアシストを決め、勝ち越しに成功すると、3点目は、自ら得点。サンチェスに1点を決められ詰め寄られたものの、この試合を3−2で勝利する事に成功した。大変残念な事に、この試合から再びピッスィのバルセロナでの活躍は鳴りを潜めてしまうが、一時は代表にも定着し、サッカー選手としては、栄光を手に入れた一人と言える。翌年、ポルトガル・リーグの強豪、ポルトへ移籍。さらに古巣ロサリオ・セントラルへと移り、2001年のリベルタ・ドーレス杯でもゴールを決めてる。2002年ビジャレアルでのプレーを最後に現役引退した。現在はチリのユニバーシダ・コトリカで指揮を採っている。
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